恩師から教えられた『学ぶ』の意味

理学部

白石 修二

 

巷では“〇〇learning” が流行っている。

E‐Learning, Active learning,  Deep learning, Speed learning・・・

いろいろな学び方があるようだ。

しかしどんな学び方にせよ、実のところ近道や楽な方法はないと思う。

『学問に王道なし』ギリシャの数学者ユークリッドがエジプト王に問われて答えた故事からきた言葉といわれている。学問を修めるのに「王様専用の近く平らかな道はない」ということだ。

 

自分のこれまでの「学び」をふり返ってみると、

小学校3年の時、教室の真正面の黒板の上に貼ってあった大きな模造紙に詩が大きく書いてあった。確か筆で書いてあったかと思う。

「雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・」(宮沢賢治『雨ニモマケズ』)

毎日否応なく目に入ってくるし、いつの間にか覚えてしまい、本嫌いがいつの間にか図書館に通うようになった。

 

中学1年の時、社会の先生が、黒板に描く各県の地図が早くしかも正確で驚嘆した。その土地土地の民謡も歌ってくれた。その時ばかりは地理が好きになり、詳しい参考書も手に取って読んだりした。

 

数学の先生は、教科書には載っていない『集合』についてかなりの時間を費やし説明してくれた。それがきっかけとなり書店に通い、岩波新書の数学に関連する本を読み漁り始めた。

 

中学3年の時は、高度成長の世の中で公害問題が表面化していた。

理科の先生と近くの川の汚染度を夏休みほぼ全部1ヶ月間かけて調査分析を行った。

「仮説」と「考察」という言葉の意味を知った。

 

大学時代は大学紛争の真っただ中で、授業時に過激派が入り込んでもめることも多々あった。そのせいかどうかはさておき、1・2年はかなり不真面目な勉学の態度であった。特に語学は英語、ドイツ語ともに落としてしまい、仮進学でかろうじて進級できた。だから、その後人一倍、英語とドイツ語を学習した。英語は近くの教会に通い、そこの牧師に色々と教えていただいた。

 

自主的に取り組んだそのどれにも興味は尽きなかったが、数学だけはさらに自分で勉強し続けた。

 

数学科に進学し、大学1年で特に数学の好きな仲間2、3人の学生と一緒に自主的にゼミの形で先生に指導してもらった。大学の数学の本は最初から難しく手こずった記憶がある。起きている間のほとんどの時間をかけて取り組んだ。

 

思えば、貴重で心に残る学びの場であった。それはまた懸命に学問された先生方だからこそできた指導でもあったと思う。

 

1年間色褪せない小学校3年生にもわかる言葉で書かれた詩を選び、心を込めて書いてくれた先生。

フリーハンドで地図が書けるようになるほど勉強し、どこの土地にも敬意をもって話してくれた先生。

教科書に頼らない知識を子どもたちに懸命に伝えようとしてくれた先生。

学生の興味にとことん付き合い自分の時間を度外視してくれた先生たち。

今の自分があるのは先生方のおかげだ。

そして及ばずながら私自身も悩み、苦しみ、考えぬくなどよく頑張ったと思う。

 

学問に王道なしは本当だと感じる。

簡単に身につけたものは、簡単に剥がれ落ちていく。

勉学は「いばらの道」だ。周りの環境や学び方に進歩はあれど自らが努力せずに得られるものは何一つない。

学生諸君には、眼の前の良書一冊に時間をかけ、じっくりと取り組んでほしいと考える。