人間にとっての「情報」 ―― その多層性

人文学部 古賀 恵介

 「情報」というと、一般にすぐに思い浮かぶのは、コンピューターやそれに関連したIT技術にまつわる形での「情報」概念である。しかし、人間を含めて、生物はみな何がしかの情報処理を行いながら生きている。いや、そもそも情報処理を行わなければ、生きていくことはできないのである。そして、人間においては、進化の歴史の中で獲得されてきた、質的に異なる多層の情報処理が行われていることを理解しておくべきであろう。

 

 人間が行っている情報処理は、体内情報処理と外界情報処理の二系統に大きく分けることができる。前者は、体内の器官・組織・細胞で起こる反応であり、ある特定の刺激に対して特定の反応がおこるという、いわば、自動反応系になっている。例えば、物を食べれば、特別に意識せずとも胃や腸をはじめとする内臓器官が消化・吸収をしてくれるし、体温が上がり過ぎれば、発汗してそれを冷やそうとする。心臓は寝ていても勝手に動いて血液を体内に循環させてくれる。その他、数えきれないほどの種類の反応が、私たちの生命の一瞬一瞬を支えてくれているのである。これらの自動反応は、起源的に言えば、最も単純な生物にも見られる情報処理過程であり、仕組の面から言うと、進化の最も古い遺物だということができる。

 

 これに対して、外界情報の処理過程が高度に発達するのは動物(それも脳を備えた動物)においてであり、そこには「意識」というものが関わってくる。というか、感覚器官を通じて入ってくる外界情報(これにはある程度の体内情報も含まれるが)を選択・統合して、外界のリアルタイムなイメージを脳の中に構成し、それに対して、必要に応じていつでも何らかの判断を下し、行動を行うことができるようになっている状態が、まさに意識なのである。

 

 しかも、人間においては、意識は、リアルタイム外界情報の単純な反映ではない。何故なら、そこには記憶と想像というものが絡んでくるからである。記憶によって、過去に経験した事柄の情報(の一部)が知識として保存され、必要に応じて意識に取り出して来れるようになっている。また、想像力によって、記憶情報やリアルタイム情報を様々に組み合わせたり変更したりすることで、外界に存在するかどうか定かでない(或いは、存在しない)情報を自由に作りだすことができる。それゆえ、人間の意識は、リアルタイム外界情報のみから成っているわけではなく、時間的・空間的に(可能性としては)無限の広がりを持っているのである。

 

 加えて、人間は社会を構成して生きている動物であり、他者との様々なコミュニケーションを通じて情報を入手し、自分の知識と意識世界を拡大していく。他者とのコミュニケーションがなければ、個人の知識・意識世界は、その人の直接経験で得られた情報のみで構成されるものになってしまう。その意味で、コミュニケーションは、個人の直接経験という限界を突破するための重要な道具だと言えるだろう。
 ところが、その一方で、直接経験を超えたところにある情報は、あくまで間接情報であり、嘘・デマといった誤った情報である危険性も常にはらんでいる。いや、それどころか、直接経験でさえ、それを意味づけし、解釈しようとすると誤った思い込みに陥る危険性がある。意識世界には、(意識しようがしまいが)常に想像の産物が入り込む余地があるからである。つまり、人間の知識や意識世界は誤情報から決して逃れられない運命にあると言ってよいのである。

 

 人間が社会的動物である以上、他者と関わることなくして、人間はまともに生活していくことができない。そして、他者との関わりでやり取りされる情報の大半は間接情報である。つまり、種々の程度の誤りを含んでいる可能性のある情報なのである。従って、その情報の正しさを常に検証するという姿勢を、個人レベルでも社会レベルでも忘れないことが何よりも重要であろう。